
#5. 名もなき山の
松尾芭蕉の残した日本語表現の粋を手掛かりに、そこからJumpして一曲の音楽作品を取り上げる旅の試み、再び。
(Surely it is spring) In the nameless mountains (a thin haze)
(春なれや)名もなき山の(薄霞)
この句の英訳を見ると、冒頭部分を詠嘆の文脈で解釈しているのが明白である。英訳者は「確かに春だ、これこそ春だ」と読んだのである。では上五中七はどのように映ったのだろうか⋯。
「名もなき」なのだから名前nameがないless山で間違ってはいない、と言えるだろう。「匿名の」と言う意味合いもあるらしい。でも、日本語表現の世界では「名もなき」という区分は名前を知らないと言う意味合いに限らず、取るに足らない、とか、ありふれた存在である、と言うニュアンスもある。
春の桜の超名所である吉野山に比して、誰もここに在ることを意識すらしないような山、という空気感を翻訳するのは至難の業に違いない。英語圏の粋人たちがどのようなnameless mountains像を描くのか?聞いてまわる事が出来たらどんな回答が返ってくるのだろうか。事物に名前を与えてきたのは、神の思し召しが有ったとする向きもあれど、一般論では過去の人間達だから、命名しきれないほど多数の山や原野が有ったであろう事も事実。
例えばパタゴニアやグリーンランドの山岳地帯の写真を見た時、その中に命名されていない山がどれくらい存在するのか、僕には判断がつかないが、意外に少ないのではないかという気もするのだ。土地に所有者がいれば、何らかのマークを付けたいだろうし、国境や地域同士の境界線を引くという問題も有る。
野生動物の個体には、ほぼ名前がないけれど、研究対象になった途端に判別するために番号や固有名が与えられるのだから、要は人間の都合でしかない。名前とは人間にとっての必要性の証しでもあり、特定したいという欲求の可視化でもあるのだろう。
さて、なんとかして音楽に結びつけたい僕にとって、いささか短絡的かと思われるターゲットは,やはりAmericaの1972年の世界的ヒット曲「名前のない馬」だろう。この曲の日本語タイトルには文句の付ける余地もなく、原題は「A Horse with No Name」である。
リリース当時は色々と在ったらしい⋯
Sound的にCSNYの路線を踏襲、というか、ほぼそのままの感じ。
歌い方や声質(Lead Singerご本人のためにあえて言えば、ディレクションと音作りが)も、当時はニール・ヤングのモロパクリに聞こえたものである。
当時の時代性を良い意味ですべて取り込んだSoundの生ギターとパーカッション、その上に非常にレベルの高いVocalが巧みにアレンジされたHarmonyと共に、絶妙のバランスで聞こえてくる名作である。そう言えば<America>というグループ名も当時から不思議だったのは、まるでイギリス産Artistのように報じられたからなのだが、何のことはないイギリスに駐留していた米軍人の子息達だったから、という事なのだった。ただ、細かく詮索すればやはり当時のMarketing有りきの命名で、メンバー達のイデーが何処まで込められている名前なのか?もしかしたら彼らはNameless Artistという存在でヒットを飛ばしたかったかもしれない。
「名前のない馬」は、即ち未確定の未来へ向かう道程の乗り物であり、かつては世界中の若者が共感出来る旅の道連れだったはずだが、今、未確定の未来に進む乗り物に乗ろうという若者はまず居ない。「名前の無さ」には予測出来ぬ素晴らしい未来も含まれているはずだが、彼らは「名前が在って、ある程度想定出来るところへ連れて行ってくれそうな乗り物」にしか乗りたくない、と切望しているように見える。
環境問題への超先駆的警告を込めたという「名前のない馬」作者のデューイ・バネルの思いは、残念ながら次世代に通じているとは,言えない。
「名前のない馬」 America

