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#8. 我が句を知れや

松尾芭蕉の残した日本語表現の粋を手掛かりに、そこからJumpして一曲の音楽作品を取り上げる旅の試み、再び。​​​

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(Sleep on a journey) then you will understand my poem (Autumn winds)

(旅寝して)わが句を知れや(秋の風)

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漂泊の旅を実体験し、楽では無い環境で寝起きした事の無い者には、俳諧など語れない、まして私の作品に近づけない、と芭蕉は吐露しているようだ。作品の奥行きを、言葉遊びと勘違いしてはいけない⋯と静かに訴えてもいるのである。


あるエッセーの中に<芭蕉たちの生きた時代には大きな戦は無かった。彼らは戦争を知らない世代である>とあった。

世界史的には植民地時代の曙だった時期に、元禄期の日本は東方の島国という地理条件も幸いして平穏かつ文化的、ついでに言ってしまえば犬たちにとっても素晴らしい時代が実現した。戦火に追われて放浪するのでは無く、歌枕なる文学史碑を追って旅をする、というのだからある意味では平和な旅とも言える。


山賊や追い剥ぎなども横行していたはずだが、芭蕉の残した文章にそのようなリアルな事件は登場しない。むしろ、よくそこまで過去の文学を引用、暗喩していますね〜と言いたくなるような古典へのRespectと知識が散りばめられている。

"旅に誘う"という姿勢で書かれた文章のはずだけれども、描かれる旅は現実のものと心象世界とを往復していく。この辺りに関しては注意も必要だ。


というのも、芭蕉の句から短絡的に意味を探ろうとすると、心象風景の奥行きを読み損ねて、眼前の狭い世界を書いているだけなのか、と誤解してしまうからなのだそうだ。名をはせたチューターでありエディターでもあった芭蕉にとって、定着する言葉は次の作者を刺激して,IMAGEを旅立たせるための仕掛けであり、連句を連ねる顔ぶれによっては、必ずしも期待通りの道行きを辿れた訳では無かった。

時代を経て、様々な解釈がなされてきた現代においてさえ、解釈は時に激しく食い違う、ましてや芭蕉の同時代人の中で彼の先進性が皆に共有出来ていたかは疑義が先行するところである。"我が句を知れや"というフレーズは一瞬高飛車にも聞こえる冷厳さをたたえているが、意味合いを共感出来るものにとっては、そうですよね〜と頷ける同志の眼差し、でもあるのだ。理解者への慈愛の言葉とも言えよう。

さて、ここから連想する音楽はどんなものだろうか。この冷徹さと内容の高度さ、そしてやわらかにひとびとを刺激し、古典へも未来へも通じる言葉=音を生み出せるひと、僕がかろうじてひとりだけ思いつけたのは高橋悠治さん。野暮に説明する事はとても出来ない、同時代の天才である。スゴく昔の事なのだが、何かジャズ系の雑誌で読んだと記憶しているエピソードがある。それは、佐藤允彦さんがバークレイ音楽院に留学している時、ボストン市内のスーパーでハインツの缶詰スープを、どれにしようか迷って棚を眺めていたら、隣に同じように缶詰を眺めていた若い東洋人が居て、それが悠治さんだった、という話。

 

それ以来僕の思考回路の中では、佐藤さんと悠治さんとハインツの缶スープは切り離すことが出来ない三角関係にある。おふたりのような神格化された優れた先駆者たちがマーケットのような下界に降りて来た感じは、安心させてくれる感触とともに、自分の日常と音楽の関係を問われている緊張感をいつも蘇らせられるのだ。


かなりの数の作品をWeb上でオープンに公開されている悠治さん。「夜の音楽」という曲の譜面を眺めてみた。個人的にはPCのソフトウェアで出力された楽譜の出で立ちにいささか違和感を感じる。というのもその昔、音楽芸術という音楽之友社の現代音楽に特化した月刊誌で,毎号付属の楽譜が作者自筆、もしくは手書きの浄書を印刷した素晴らしいデザインで、悠治さん曲や武満曲など、全く理解出来ていなかったのに、格好良いなぁとため息をついて眺めていた記憶が鮮やかだからである。

 

ともあれ、悠治さんであれば、他の人には言えないこの文言が似合う。もしかしたら,彼の音楽が既に言い終わっているのかもしれない⋯。
「我が音を知れや」

 


曲目紹介 「夜の音楽」https://www.suigyu.com/yuji/score-pdf/night-music.pdf

© 2025 Akira Inoue / Pablo Workshop.

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