
#05. Shock The Monkey
職業 "編曲家"とはおそらく、どんなジャンルの音楽もコントロール出来て、バジェットやら納期やらその時々の時代性など、様々な要素をきちんと外さずに音楽をまとめる人、ということになるでしょう。
ですからスコアを素早く書く能力は必須で、ある意味社会性にも長けていなくては、と僕ですら考えていました。
そんな先入観をぶっ飛ばされたのがこの曲です。ポップスというジャンルに対する感覚を変えられたとも言えます。
1982年リリースなので、ちょうど僕自身がスタジオでの音作りへの実験気質満開の頃、シンセサイザーを新鮮に使いこなそうと頑張っていた時期だけに、攻撃的とも言えるこのサウンドは天啓のように響きました。
当時としても、LA・NY発信のモダンなポップロックとは全く違う音作りと「何を言っておるんじゃ?」と思わざるを得ない歌詞、そしてアルバムのアートワークも鮮烈でした。
一つの要素を突き詰めていくと普遍性に繋がるんだ!
一見過激でも過剰でもメッセージが明確であれば伝わるんだ!
と教えてくれたことの影響力は大きかったのです。
シングルとしてリリースされたこの曲ですが、今調べ直すとそれほど商業的成功作とは言えない感じです。
イギリスのチャートでは58位、ふむふむ、ですがイタリーでは2位!?
これはちょっと面白いですよね⋯ 逆かと思ってしまいますが。
日本では一体どの程度売れたのか?知るのが怖いですが、アーティストに与えた衝撃の大きさはグローバルに共通だったことでしょう。
その後、ほぼ「追っかけ」になってピーター・ガブリエル先生の下に1ミリでも近づこうと努力し、アルバムのパーソネルと接点を持てるようになった経緯の中で僕は「職業編曲家意識」を無くしてしまいました。
そもそもイギリス人プレイヤーの中には全く譜面を読めない人が沢山居て、耳からのインプットのみで目を見張るような演奏をします。盟友となったDavid Rhodesなどはコードネームもごく基本的なところ以外は通じませんし、譜面を書いているのを見たことがありません。
でも考えてみれば、モーツァルトもバッハもショパンも即興演奏の名手、楽譜とは記録であって音楽の伝達手段の一つにしか過ぎないのです。
僕は三善晃先生に「書き方」を教わりましたが、PeterとDavidに教わったのは「書かないやり方」でした。
Macや最新機材も、いつも即興的にスポンティニアスに使えるんだ!これは楽しいぞ!!