
#09. 錦木によせて
"そもそも音楽についての思索や感情を言葉にすることにはどういう意味があるのか?" と学生時代から訝るタイプでした。
「音楽芸術」という壮大なタイトルの現代音楽専門誌が生存していたあの頃、何回読み直しても難解で意味がよくつかめない文章が、ある種のトレンドでした。それでも時々は素敵な導きをくれましたし、何よりリアルタイムで日本の作曲家、音楽家について知る唯一の窓でした。
そんな時代に不思議な輝きを放つ箏演奏家が居たのです。
その人が故・野坂恵子(操壽)さんでした。
ある楽器の代名詞となる演奏家って居ますよね。シタールのラヴィ・シャンカール、バイブのゲイリー・バートン、バンジョーだったらベラ・フラックと言った具合で。
野坂さんは二十五絃箏の創始者、楽器の存在感を変えたという点ではジミヘンに例えても良いくらいの表現をしましたから、僕が言葉にする事で未知の聴き手が彼女の音楽に出会う機会を得るとしたら、書く意味が生まれるというものです。
彼女は世間的には大躍進を謳歌しているかに見えた時期に7年間も活動を休止し、その間に津軽三味線のレジェンド、初代高橋竹山との出会いをきっかけに渋谷に有った小劇場ジャンジャンをベースに自作曲の演奏活動を始めたのでした。
現代曲や邦楽の古典だけでは無く、若い聴き手に向けた "表現を自らの音楽とせよ" というスタンスを示唆したのは竹山師で、曲を作る構成力はキース・ジャレットやかつての沖縄ロックスター・紫を研究して学んだ、と聞いたら、どんな音楽なんだろう?と思ってくれるひとも現れるでしょうか⋯。
ピアノやギターに比べたら接する機会の少ない箏、お正月にホテルで流れている音楽、というイメージが強いですが、野坂さんの演奏は実にリズムが活きていて奥行きと叙情に満ちているものでした。ゴジラの映画音楽で知られる伊福部昭曲も彼女のパワフルな演奏が多くの聴衆を魅了したものです。
表題曲について書くスペースが狭くなりましたが、それは実際に聴いてみていただきたいから、のひと言に尽きます。
言い添えれば、生演奏を聞き逃した皆さんの取り逃がしたものは—— そう、Woodstockでジミヘンのギターを聞けなかったに等しいのですが、それでも残された録音からその後ろ姿が見えてくるはずです。
「錦木によせて」は長沢勝俊作曲、冒頭の和音の響きは箏の持つ普遍性、グローバルさを静かに語りかけます。
「錦木によせて」野坂操壽 HJCD0005 (邦楽ジャーナル)