#03. 内的に増幅される余波
Head Phone Oasis 見聞奏記
最近の車にはCD-Playerがついていないものが多い。
僕はどうもOn Lineで音楽を聴くという行為が日常的には出来ないのだが、シャッフル再生も、あなたにお勧めの曲、という外圧も馴染めないから、ということに尽きる。古風と言われればご明察、と答えるしかないが、アナログレコードの時代から僕は気に入った一枚のレコード(CD)をPlayerにかけたまま、かなりの回数繰り返して聴く、という行為を続けてきた。
その是非を大滝さんに質問しそびれたが、なんとお答えになっただろうか?
とにかく、そんな聴き方をPeter Gabriel作品やRadioheadやTom Waitsやらの作品でしていると、有る時はBassist目線、有る時はエンジニアが仕掛けた僅かな効果、有る時は歌い手のブレスの位置、とにかく毎回毎回違う刺激と魅力が立ち現れるので、次なる興味の対象が現れるまではかけ替える必要も感じないのである。
Headphoneで外界と孤絶した環境を持てるようになるまでは、Jukeboxにせよ、Radio, Tv, Car Stereoにせよ、同じ景色を他者と共有しながら同じ音楽を聴く、という時間が普通にあった訳で、大滝さんが企画したHeadphone Concertはそのいささか極端な実証実験とも言えるものだった。
大滝さんは新しい技術好き症候群重症者だったので、イマドキのコンテンツ制作の走りとも言えることを沢山試していた。
ホールに人を集めておいてStage上の演奏をFMで電波を飛ばして、ホール内の聴衆がFM受信機とHeadphoneでそれを聴く、という込み入った企画は「何の為だか判らない!」と言うひとと「面白い!」と感じるひとを生んだが、ウィットに富んだ社会批評だと受け止めた優れ者は多くはなかったようだ。
パブリックな実験ではないが、大滝さんは当時の<パソコン通信>の技術を使って福生の自宅と都内・信濃町のSONYスタジオをOn Lineで繋ぎ、リアルタイムの演奏を自宅で聴いてスタジオに指示を出す、という先見的?なお試しをするぞ、と言いだして僕も付き合わされたものだ。
通信は不安定で実用性には欠けていたけれども、業界の話題としてはA-Class級だったことは確かだ。これもまた個と社会との関係への批評というべき実験だったのだろう。大滝さんは神話性に親和性を重ねていたひとだった⋯。
見聞記VOL4に続く>>>

