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#02. 時代は変わる

Head Phone Oasis 見聞奏記

録音スタジオでのモニター環境、すなわちHeadphoneとの関わりも、時の流れの中で随分と変遷があった。

 

駆け出しの頃、都内に多数有ったスタジオに行くと、スタジオ毎にそれぞれの世界観のHeadphoneが常設されていて、聴きやすかったり、使い難かったり、様々なのが当然だった。そもそも、演奏者が聴くモニターの音質自体がバラバラだったし、システムも多様だったので、ひとえに環境の善し悪しは録音するエンジニアの感性と力量に委ねられていた訳だ。

 

「おいらの音が聞こえね〜よ!」とか「音が固すぎる!」とか言う罵声が飛ぶのも日常茶飯事だったし、My Headphoneを持ち込むアーティストも希だったから、イマドキの私物高音質Headphone当たり前、の空気感は当時の予測を遙かに超えている。

混んだ電車の中にHeadphoneを着けているひとが居る、としたら70年代には奇人視されていただろう。

 

 

さて、90年代に入るとスタジオ機材もアベレージが上がり、デジタル化に伴って演奏家側の耳も細部にうるさくなっていったので、以前だったら気にならなかった縦のTimingのズレだとか、音質の好みとかが徹夜の遠因となる日々が到来した。

 

一日の音楽製作の最後に大音量のスタジオモニタースピーカ−で聴く前に、小さなスピーカーとHeadphoneでバランスと音色をチェックしてみる、すると誰かが何かを気にしてあれこれ言い出すので、いつまで経っても終わらない⋯と書くとネガティブに見えるが、実はそこでの試行錯誤が、今になって評価されている「日本のCity Pops」のクオリティを生んだことを忘れてはならない。

 

高音質(高価格)のHeadphoneは観賞用の嗜好品だっただけではなく、音楽そのものに限りなく近づいて磨きをかけるための治具でもあったのだ。ネームバリューのある外国製品だけではなく、国産メーカーにも人気商品は沢山有ったし、レコード会社の技術陣が拘って作ったブランドも生まれたので、聴き比べて批評するおしゃべりは楽しくも真剣な空気感にあふれていた。

 

そんな頃に大滝詠一さんが突如放ったセンセーションがHeadphone Concertだったのである。

見聞記VOL3に続く>>>

© 2025 Akira Inoue / Pablo Workshop.

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