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#01. 夏のクラクション

2010年頃、松岡正剛主宰のWEB媒体で松尾芭蕉の句を手掛かりにした「千律譜BASHO」を連載していました。音と楽譜表示が同時進行する仕掛けを作ったりしたのですが、その後休眠状態、今回は芭蕉に限らず目に止まった文字列、詩句から音楽の連想妄想を楽しむ続編を記す事にします。


 

第一回目は「夏のクラクション」、稲垣潤一歌唱、筒美京平曲、売野雅勇詩、そして僕が編曲した曲のサビ冒頭のひと言です。1983年の発表当時、巷ではクラクションが盛んに鳴っていたかどうか?確たる記憶はありませんが、最近よりはドライバーとの距離感は近かったでしょう。「危ないよ!パオーン!!」と慌てて鳴らす、そんな経験は誰しもが持っていた時代でした。

 

この曲に登場するクラクションをうるさいと感じる人は少ないのですが、反対に主人公たるクラクションの響きを実感として受け止めた人も実はほとんど居ません。

海沿いのカーブを白いクーペで走りながらクラクションを鳴らす必要がどこにあるんでしょう?

それにフランス車やイタ車の粋なクーペ、クラクションの音は大概詩情とはかけ離れた音です。もちろん、葬列の出発に鳴らす長いクラクションを思う人も、友達が帰っていく時の別れの合図を思い起こした人も居たのでしょう。でも決して多数派では無かったと改めて思います。

 

何故ならこの曲のヒットの要因はひと言前にある「の」なのですから。

 

自分も関わっていて、未だに「あのイントロは素敵だ」と言われたりする曲なのに、実はこの作品、曲が先に出来たのか、詩が先にあったのか僕は不勉強故知りません。

ただ、どちらにしてもたぐいまれなるイヤーキャッチの名作、日本語が生んだ奇跡の賜物なのです。


英語で「Horn at the end of summer」だったらどこにもあの「のぉぉぉ」という鮮烈に耳に残るフレーズは生まれようがありません。

8分音符を4つも使って「の」1音しか歌わない、という清貧さは能狂言に通ずる美学です。

 

ですからクラクションの音はこれほど説得力有る「の」が世界を満たした後、遠くの方に微かに聞こえる非現実のエコーで良いのです。その意味で夏「の」までのたった4拍間に空間や、物語や甘酸っぱい悲しみまで思い起こさせる、このメロディと言葉は傑作と呼ぶ他無いでしょう。ちなみに成功例は洋楽にもあります。


「I can get no, SA! tisfaction 」Stonesです。あの「サ〜!」は鮮烈に耳に残ります。

普通あんなところを伸ばして発音する英語国民は居ない「サ〜!」

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