
#7. 旅寝して
松尾芭蕉の残した日本語表現の粋を手掛かりに、そこからJumpして一曲の音楽作品を取り上げる旅の試み、再び。
Sleep on a journey (then you will understand my poem Autumn winds)
旅寝して(わが句を知れや 秋の風)
"旅寝"という言葉から僕が思い出すのは、シェークスピア語るところの「リア王」の後半部分、王が長女、次女に欺かれてからの苦難の日々である。
いささか極端な連想かもしれないけれども、芭蕉の時代に優雅で楽な旅という状況は考え難く、如何に門人や豪商のサポートがあったとしても、ほとんど徒歩の旅人が山を越え、川を渡って進んでいくのだから、荒れ野を行くリア王の姿と重なっても無理は無いだろう。芭蕉はリア王とは違って、心を病んで野の花をまとって現れたりはしないけれども、心の中には野の花が言葉となって咲き乱れていた。
たまたま東北新幹線の車内誌で読んだのだが、芭蕉の旅は記録から計算すると一日平均で約30kmという驚くべき距離をクリアしていたらしい。単純計算で時速4kmとしても7時間前後歩かないと到達出来ない距離だし、高低差もあるとすると、その脚力たるや尊敬に値する。当時の人達が皆概ね同じようなスピードで旅をしていたとすると、現代人は体力虚弱と言わざるを得ないだろう。
履き物は草履だし、服装も軽装だったのに遠距離を移動出来たと言うことは、各地に旅人をフォローする文化が確実に在った事を示しているが、「奥の細道」には、その日の宿を求める、という記述が頻繁に出てくる。旅程を前もって確定しておけるようになったのは近代以降の常識でしか無いのだ。芭蕉の書いた旅寝という言葉に安堵を求める心情がこもっていたとしても、現実には安定感とはほど遠いものだったはずである。
そんな旅寝のIMAGEから僕が連想したのは、鬼才トレント・レズナーのプロジェクト<Nine Inch Nails>のALBUM「The Downward Spiral」だった。
下降していく螺旋、と言うよりは落ちていく悪循環と捉えた方がしっくり来るTitleからして「リア王」が見えてくるかのような作品。インダストリアル・ロックと呼ばれたSoundは電子音と歪んだ音色の展覧会なのだが、不思議な静けさも漂い、耳元でささやかれている感覚の描写も巧みなので、無機的とは言えない。もっとも、ささやかれるのは基本的にネガティブな言葉なので,聴いていて心やすい気分にはほど遠いものだ。
でも確かに美しいし、人生の真実を突きつけられる思いになる事も間違いない。特にALBUMの最終曲「Hurt」はリア王の苦悩と匹敵するほどの自我の危機を耳元の微風のような息づかいで歌われる部分と、遠くから聞こえてくる叫び声やひとびとの話し声との対比で映像的な描写に奥行きが与えられている。
「わたしは今日、自分を傷つけた」とささやく冒頭の音世界は、実際のところ<Nine Inch Nails>登場以前pop, rockの世界に存在しなかったかもしれない。旅寝する芭蕉とリア王が風に吹かれている、そこに現代的でデジタルなのに限りなく肉感的な響きが聞こえてくる。
およそ親しみやすいとも、楽しいとも言えないこの音楽が支持を得て、世界的マルチプラチナディスクになるほど売れた事を、芭蕉やシェークスピアはどのように受け止めるだろう。

