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#01. 長ーいお付き合い

Head Phone Oasis 見聞奏記

音楽と職業的に関わり始めて一体何年経ったのか?

改めて考えると眩暈がするけれども、もはや半世紀という他人事としか思えない言葉が浮かび上がる。そして、その時間の中で僕がHeadphoneをしていた時間を総計したら、どんなことになるのだろう⋯。

 

というのも、生まれて初めてプロ仕様の録音スタジオ、飛行館というジブリ的魅力を持つ名前の空間に「こんにちは」した時、既にHeadphoneはそこに居たし、その後のStudio Workでもいつも一緒だった。今までのキャリアで製作に関わったプロジェクトは1500位軽く数えられるだろうから、平均して3日位の時間を費やしたとして、その内3分の1くらいHeadphoneを着けていたとすると、36.000時間という数字が出てくる。

忙しすぎた80年代後期から90年代には、耳の疲労を具体的に感じることも多かったので、あえてHeadphoneをしないで仕事をするように努力したこともある。でも細かいニュアンスがスピーカーでは認知出来ないと感じることも多く、常に頼りになる存在というヒエラルキーが揺らぐことは無かった、と言うしかない。

 

Headphoneの母型は19世紀末、電話交換手のための機材として生まれたらしい。生まれながらに周囲と孤立した環境を作る宿命を持っていたと言えるだろう。でも、初期には現在とは違う魅力をひとびとは感じていたようだ。

 

1881年パリで開かれた国際電気博覧会なる催しで、オペラ座とオペラ・コミック座とを博覧会場を有線で繋いで「耳当て(!)」を変えると聞こえてくる内容も変わるというLive有線放送が聴衆を熱狂させたと言う。史上初のステレオ放送でもあり、聴くひとは舞台上の俳優の動きを感知出来たそうだから、かなりの解像度だったのだろう。

 

このシステムはテアトロフォン「THEATOROPHONE」と言う名前で商品化され、後のジュークボックスのように有料で(1単位5分間)楽しめるシステムが出来たと言う⋯。録音された素材を流したのか?全てLiveだったのか?気になるところだが、何れにせよ直ぐにラジオ放送に駆逐されてしまい、短命の幕を閉じる事になった。でも、素敵な名前であることは疑いない。

そして、今回のHeadphone Oasisの遠い祖先と思えてしまう⋯。

見聞記VOL2に続く>>>
 

資料出典;https://note.com/kagefumimaru/n/n5819b0108398

© 2025 Akira Inoue / Pablo Workshop.

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