「もののたましい」


「たましひ」と書こうかと迷ったのは松岡正剛師から送られて来た新刊があまりにも面白いので多大な影響を受けたからだ。「雑品屋セイゴオ」副題が [ZAPPin’YA SEiGOW] というそのタイトルからして萬年A型少年の心をくすぐる。しかも超尊敬するFrank Zappaにさえつながる語感、流石のネーミングである。月球儀であるとか、ネオンサインであるとか、登場する事物も名脇役俳優揃いだし、中には何度も同じ行を読み返してしまうような高密度のページもある。例えば鉱物標本の項、これは宮沢賢治も半歩下がって道を譲るかも、というようなステージングである。漆黒を代表すると形容された黒曜石もきら星の如きスター軍団のトップを飾って登場するのだが、僕にとっては中学時代に一番若い叔母(母は五人姉妹の長女だった)に連れられて行った長野県は霧ヶ峰の近くで遺石?を探し回った記憶のある近しい石なのである。その辺りは古代人が鏃を作るためにわざわざ黒曜石を求めて全国から訪れていたのだと聞いて、タイムトリップした気分になったのは懐かしい思い出だ。
五線紙について書いている下りも見逃せない。「五線の左右は時間なのである」「たまには互線譜と言ったら良いのではないか」等の哲学的語句は実際音楽家の皮膚感覚と見事にシンクロニシティである。僕たちはいつも五線の向こう側に共演者のたましいの振幅を感じているし、独奏の時には作曲者、果ては自分自身のそれを透視しているのだから。
 
単なる「もの」ではなくなる瞬間を「ひと」も「もの」も共に待ち望んでいる。だから五線紙は横線の集合ではない何物かになるのだが、松岡師がさまざまな「もの」から世界を紡ぎ出してくれるのはフェティッシュの民族心理学的価値を把握しているかららしい。「もの」に託した観念力、それがフェティッシュという事なのだと知った時「もの」を見る眼が劇的に変わる。
 
この葉っぱは梢から離れ地上に落ちてからずっと「わたしをなんとかしてくれ」とつぶやいていたようだ。少なくとも僕にはそう聞こえたのだった。横たわって空をみているのではなく違う景色を見たかったのかな?
(Text and Photo By Akira Inoue)

 


≪From Akira Inoue≫
OSTINATOD.S.D TrioParachuteArrange Island Show連歌 鳥の歌 2016