「The Wall」


Woodstock Festivalが世界中の若者に大きなインパクトを与え、文化もライフスタイルも変革してから今年で50年だそうだ。
50年祭も開かれるらしい。でもその祝祭が2019年の世界にとってどんな意味をもたらすのか、簡単にはイメージし難い、と思うのは少数派なのだろうか。
 
政治の壁、文化の壁、世代の壁を打ち壊したいと願っていた50年前の熱は既に過去のものというか、今や異質なものとしてしか見えないと感じている人は多い。直ぐ隣にいる友だちとコミュニケートするために、携帯でデータが作られ(今やタイプもしない!?スタンプを選ぶだけ、、、)そこからどこぞやのサーバーまで電送され、世界中を巡り巡っている情報の大河へ流され、友達のサーバーによって探し出されて友達の携帯へと送られてくる、、、エネルギーの無駄遣いでは無く、会話よりもよりきちんと伝えられる通信手段なのだと感じている人々がたくさんいるのだ。彼らから見れば、初対面の男女が音楽やらドラッグやらでハイになって半裸で抱き合う、なんて学校や塾で教わる知識以上に理解しにくいのだろう。
 
見えない壁の方がずっと恐ろしいものなのに、見える壁を作れば安心出来ると信じているひと、そうした人は実は遙か昔から多数存在していた。万里の長城、ベルリンの壁、結局役に立ったとはお世辞にも言えない壁たち。そしてみんながそうだとは思いたくないけど、今も熱烈にメキシコとの壁を作りたがっている人がアメリカにいるのだから閉口してしまう。
 
でも、もっと寒い気持ちになる文章を1月16日付の朝日新聞で目にしてしまった。哲学者・國分功一郎さんのコラムに有った一文は「壁」について考え直させる重みと達観に打ちのめされる。
 
==政治とは論議と説得である。論議も説得もないのは、政治がなくなっているということだ。我々は政治の消滅を迎えつつある。それをそのまま迎えることがあってはならないというのがこの連載を通じて私の述べたかったことである。 朝日新聞<思考のプリズム>より
 
のんびり屋さんなのでそこまでは感じていなかったけれども、人々が帰属先を失い、一見自由を獲得したように見えるが、実はバラバラの個人になって砂のように何かに流されていく、、という國分さんの指摘は実感を伴うものだ。グローバル化した世界は個々にとって狭くなり均質になり、、ふと気がつけば足元が不確かになっていく?うーむ、とても喜べませんね。

 


≪From Akira Inoue≫
OSTINATOD.S.D TrioParachuteArrange Island Show連歌 鳥の歌 2016