「呼吸」


大きなスパンの呼吸、極小の単位の呼吸。世界に生物があり続ける限り、呼吸は世界を支える行為だ。四季が移り変わっていくのもひとつの呼吸であると日本人である僕は感じるし、僕とは全く違った体感センスで砂漠の民や極北の人々は世界の呼吸を捉えているに違いない。
泳いでいると否応なく呼吸を意識するし、花粉症に唯一認める点があるとしたら人が鼻や喉に感覚を集中し呼吸を実感することと言えるだろう。産業革命当時のイギリスの工業都市、共産圏が存在した時代のロシアや東欧の工業都市、現在でもアジア圏や南米の都市などでは呼吸そのものが危うい状態で人々が生活するのが普通の事な訳で、生命の基本なのにおよそ無視され続けて来ているのだ。
 
歌を歌おうと思えばどうしたって呼吸を意識することになる。息を吸わなくては次のフレーズは歌えないし、そもそもそうした息をする瞬間も、音楽の内部に歌い手はいるのだ。楽器にとっての休止符も呼吸であり、その空間が深く心に根ざしているか否かが、息を吐いている時間の、即ち歌っている時間の清濁を決する。
多分、人の呼吸のリズムはその生活環境や時代性、さらには文化的背景に左右され続けていくものだろう。最近読み直しているカザルスの評伝を見ていると、彼が良い意味で19世紀式の呼吸をしていたことが感じられる。晩年はテレビで西部劇を見るのが好きだったようだが、ファシズムと対峙していた時期、彼の生活はさながら隠遁者、宗教者の呼吸に満ちていたようだ。とはいえ、テニスも上手、衆目を驚かせるような恋もし、ジョークも達者だったカザルスの呼吸は演奏の奥行きを生む地平だったわけである。
 
電話で会話することすら減ってしまった生活は、呼吸が何かを伝え合うという可能性も奪ってしまうのかもしれない。そう思いながら書いているウェブエッセイの息づかいはどのように伝わっていくのやら、、、。
 
せめて
 
行間で
 
深呼吸
 
いたしましょう。
 
きれいな空気が
 
呼吸出来なくなる日など
 
決して来ないように。
 
(Text and Photo By Akira Inoue)

 


≪From Akira Inoue≫
OSTINATOD.S.D TrioParachuteArrange Island Show連歌 鳥の歌 2016